【タイトル】

緊張感が子供を育てる

【本文】

 昨日、森の子級通信が回議されてきました。金曜日に学級に配付予定ですので、ちょっとフライングして記事にふれさせてもらおうと思います。今回の森の子級通信は、16日の学校日記でも紹介した「森の子のインタビュー」の裏側を伝える内容でした。私は学校日記で「教室に入るとビデオカメラがセットしてあり、子供たちは緊張感に満ち溢れていました」と、書きました。そして、書かなかったのですが、時折子供たちが「どうしたらよいですか?」のような視線を森の子の先生方に送る場面がありました。そのとき、先生方はうなずくだけで、一切指示や助け舟を出しませんでした。森の子級で大事にしている「自分で判断する」力を育てる勝負の場面でした。助けるのは簡単ですが、それではいつになっても子供たちは自立しません。支援すべきところと乗り越えさせてあげるところをよく考えた、先生方のチーム連携のすばらしさを感じました。  森の子級通信の「余談」のところに、こんな一文がありました。「緊張することは当たり前のことであり、大切な場面で緊張は必要なこと。緊張しても力を発揮できるように練習したり準備したりすることが大切である」。私もまったく同感です。今日の6年生を送る会でも進行を担当する5年生の緊張ぶりが、ひしひしと伝わってきました。本番に緊張するということは、それまでの練習や準備においてすべてをやり切ったという証拠でもあります。「これまでの成果をしっかり発揮しなければ」という子供たちの緊張した顔はとてもすてきでした。  私はこれまで何度も6年生を送る会を見てきましたが、5年生に緊張感がなく、計画性もなく練習不足でドタバタの進行をしているのを、担任時代に何度か目の当たりにしたことがあります。前年度すごく頑張っていい送る会をつくりあげたのに、自分たちが送られるときは…というときの6年生はかわいそうでした。学級担任の指導力は、こういう場面で子供の緊張感のあるなしに表れてしまいます。6年生を送る会の様子は、また明後日に学校日記でお伝えしたいと思います。  緊張感の話に戻りますが、以前、私は指導主事時代に多くの研究授業を参観させていただく機会がありました。何年もやっていると、教室に足を踏み入れたときの教室内のムードで、「あっ、今日の授業はいい授業になるな」と感じることがたびたびありました。そういうときは、授業者はもちろん、子供たちがいい意味の緊張感にあふれています。ただ人が後ろにたくさんいるからではなく、「さあ、研究授業だ」「これまでの自分たちの学習の成果を見せるぞ」という、授業者と一体になった緊張感です。そして、そういう教室では、授業がうまく流れなくても、終始子供たちが活発に発言したり、一生懸命考えたりするいい授業になることが多いです。  反対に授業前に先生が「今日は後ろにたくさんの先生が見にきてくださっているから、頑張ろう」とか、「緊張しないでいつも通りやろう」などと言っているときは、あまりいい授業にはなりません。授業開始直前になっても全員がそろっていなかったり、机上が整理されていなかったりするのはもう論外です。足を一歩踏み入れたときに感じる「あっ」という教室内の緊張感が、今回の森の子級の教室には漂っていました。通信を読んで「なるほどね」と、思いました。タイトルを「緊張感が子供を育てる」としましたが、そのいい緊張感を教師の指導でつくれるかがそもそも大事なことだと思います。


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