【タイトル】
自然アイゴの心【本文】
早いもので2学期も残すところあと2週間を切りました。学級担任や教科担当の先生は成績処理で忙しい日々が続いています。教務・教頭・校長も全員分の「あゆみ」の下書きに目を通しています。昨日は先生たちが見とった記述部分を読みながら、過去のいろいろな出来事を思い出していました。昨日は特に「自然愛護」という言葉に反応してしまいました。 今から二か月ほど前のある日、私はとある堤防に趣味である海釣りに出かけました。(一枚目は私が堤防から撮った写真ですが、分かる人にはすぐ分かる風景です。) 土曜日だったので、堤防にはベテラン釣り師にまじって結構親子連れで楽しんでいる人がいました。ほとんどの人がイナダやソウダガツオといった青物を狙っていたのですが、その日はアイゴという魚がよくかかりました。 アイゴ(二枚目写真出典:写真AC)は背びれや腹びれに鋭いトゲがあり、このトゲには毒があるので知らない人がさわるととても危険な魚です。トゲを切り落として持ち帰り美味しく食べる地元の釣り師もいますが、多くの人はリリース(生きたまま海に戻す)します。そのアイゴをリリースせず、そのまま堤防上に放置している年配の釣り師がいました。そこに男の子(5年生か6年生くらい)が2人やってきて、「すみません。持ち帰って食べないなら生きているうちに逃がしてあげたらどうですか? 小さい子がさわったら危ないし。」とその人に声をかけたのです。年配の釣り師が「トゲを切って持ち帰って食べるよ。生きているうちに切ると暴れて刺されちゃうといけないから。大丈夫、捨てないよ。これから処理するから。」と答えてくれたので、その子たちは「あっ、それならすみません。」と言って戻っていきました。 この様子を見ていて、私は以前海の近くの学校に勤務していた頃のことを思い出しました。港の小さな堤防で、当時担任していた6年生と一緒に釣りをしていたときのことです。一緒にいた女の子のうち一人が、気付くと少し離れた場所にいた釣り人のところに行って何か話しかけているではありませんか。そこには釣れてしまったフグ(キタマクラ)をリリースせずに並べていた釣り人がいたようで、その子は「そうやって死なせるならすぐに海に帰してあげてください。」とお願いをしていたのです。トラブルになると困るので私はすぐに謝りに行きましたが、内心はとても嬉しかったことを覚えています。 実は、その時学級ではみんなで海水魚を飼っていました。それに至る経緯はさておき、子供たちの提案でハオコゼやイシダイの幼魚、カゴカキダイ、カワハギなどの小さい魚を飼育しては生態を観察していました。釣りはその飼育する魚を調達するためで、土曜日などに子供たちと港に出かけては、飼ってみたい小魚だけを教室に持ち帰っていたのです。毎回ベテラン釣り師のお父さんたちが付添いで来られては、魚のことなどいろいろと子供たちに教えてくださいました。 海水魚を飼育するのは淡水魚よりも難しく、アオイソメやオキアミなどの餌の食べ残しですぐに水槽が汚れてしまいます。毎週水を入れ替えての掃除は当たり前、私が岬の方から汲んできた海水を入れたポリタンクも子供たちが車から教室まで一生懸命運んでいました。それでも、自分たちから飼ってみたいと言い始めたことなので、子供たちは文句ひとつ言わずに卒業まで頑張り続けました。たくさんの種類を飼って、多くの魚が死んでしまいましたが、自然について多くのことを学んだ取組でした。 学校では教科をはじめたくさんのことを子供たちに学ばせますが、難しくなかなか意図してできないのが「心を育てる」ことです。「あゆみ」の所見を読んでいくと、自然愛護の思いを高めたり、食に関心を持ったり、挨拶が積極的にできるようになったりと、この2学期に「何かの心」が変容した子供がたくさんいることが分かりました。そしてその背景には、長期にわたる様々な継続した体験があったということも分かりました。 堤防上に無造作に置かれたアイゴが気になった男の子たちには、どんな背景があったのか今でも気になっています。【添付ファイル】
アイゴ2.jpg